Interview

SHOWAISM〜私のストーリー〜

挑戦を続けて自分を高めていく
「日本という国をよくしたい」

総務省 行政管理局公共サービス改革推進室
官民競争入札等監理委員会事務局
参事官補佐 事業戦略本部
内藤諭子さん

生活科学部
生活美学科(現:環境デザイン学科)
1996年卒業

片道2時間の通学で集中力アップ!

高校3年生のときの私は、反抗期真っただ中。地元・茨城ではなく東京の大学に行きたいと言い出した理由も、親を見返してやろう、という考えからでした(苦笑)。反抗期ならではの意地やモチベーションを持ったまま、昭和女子大学短期大学部に入学し、その後学部に編入しました。
大学までは片道約2時間。幸い沿線の始発駅だったので、電車を選べばほぼ座ることができました。まだスマートフォンなんてない時代、この2時間を勉強や読書の時間に当てていました。特に、分厚い「建築法規」や「環境工学」などの暗記ものははかどりましたね。また、読書のスピードも格段に上がり、片道で文庫本を1~2冊は読めるように。小説から学術書まであらゆるジャンルを読み漁りました。この計4時間の通学時間で、集中力も高くなりましたし、時間を効率よく使う方法も自ずと身についたと思います。

昭和女子大学の先生は厳しくも温かい

私の在学当時、昭和女子大学は校則が厳しい学校として有名でした。華美な服装どころかデニムなどのパンツもダメ。もちろんアルバイトも禁止でした。
「構造力学」を教えていた渡邉敬三先生は、海軍出身の方で特に厳しかった思い出があります。ただ、私たちが「構造力学」の毎回の授業でつまずいて質問に行ったときには、根気よく時間をかけて丁寧に教えてくださいました。その渡邉先生は今90歳くらいになられていると思いますが、今もFacebookでつながっていて、近況を報告しあっています。

学生時代に「わからないことを放置しない癖」がついた

短期大学部の生活文化学科では「建築」を専攻。建築分野は、当然のことながら、理系の授業も多いのですが、私も含め高校では文系だった学生が多くて…。建築学を学ぶ上でとても大切な「構造力学」という物理の授業を学んだことが前提となる授業を理解することが非常に難しかったのを覚えています。クラスメイトと一緒に放課後、頭を付き合わせて考えても答えが導けず、渡邉先生のところに聞きに行っていました。
一見、難しくてとっつきにくい「構造力学」ですが、1、2年生のときにしっかり教えていただいたおかげで、その後の授業や後の国家公務員試験受験の時にも役立ちましたね。“建築学を専攻するうえで欠かせない”という追い込まれた環境もよかったのかもしれません(笑)。

また、編入した大学3年生のときに一般教養で「政治学」の授業を選択したときのこと。NHK解説委員としてドイツ問題やEU、東欧などの解説委員をされていた井手重昭先生の講義を受ける機会がありました。建築関係の専門書を読んでいるうちに、東欧の木造建築に興味を持ちました。私はもともと新聞を読むのが好きで、2~3紙を読み比べる習慣があったので、「ベルリンの壁の崩壊」について、リアルタイムで実際に見ていた井手先生から生の情報を聞けることに、非常に嬉しく思いました。新聞解説や井手先生のお話で、各国の考え方や意図を自分なりに読み解いていくようになりました。

学生時代に得た精神、習慣が今の仕事に役立っています

国家公務員2種試験(建築区分)に合格し、「会計検査院」に就職しました。「会計検査院」は、国会及び裁判所に属さず、内閣からも独立した法律上の機関です。国や法律で定められた機関の会計を検査し、会計経理が正しく行われるかを監督しています。
 就職後まず配属されたのは、国土交通の検査をする「国土交通検査第一課」。設計図面や契約関係書類等を読み込み、現場を確認するなどし、正しく国の予算が使われているかを調べ、問題点を発見し、どのように改善させれば良いか相手と交渉していきます。ここでは、学生時代に勉強してきた建築学の知識を生かすことができました。

その後、「大蔵検査課」、「防衛検査第一課」、「財務検査第一課」…などへ異動。検査を担当する省庁が変わるたびに、財政法や会計法などの新しい法律や、建築基準法、防衛対策や安全保障、国債の利回りの計算方法などの多岐に渡る分野の専門用語について勉強して、資料を読み解けるように勉強しなくてはいけません。最初は用語一つですら、わからないことが多いのですが、ひとつひとつ調べて、考えると次第に理解できるようになります。私が、仕事の中で得意だと思う分野は、「既存の公表されている資料から仮説を立てて考えること」だと感じているので、自分が調べて考えて理解し、どんどん道が開いていく感じが本当に楽しいです。

興味のある分野には挑戦しよう、という気持ちで仕事に臨めるのは、昭和女子大学時代に「わからないことを放置せずとことん調べる癖がついた」からだと思っています。授業を選択するときも“文系だから”とか“理系だから”と線引きをせず、敢えて未知の世界にも挑戦してみるという精神は、今の私にも生きています。
また学生時代は、長い通学時間、英会話学校とのWスクール、イギリス留学を夢見て、イギリス留学の費用を捻出するためのアルバイトなどで、とにかく時間に追われていたと記憶しています。設計の図面や模型を作る課題も多かったですしね。だから今、結婚して子育てをしながらフルタイムで働いていても、学生時代と同じだと思ってしまって…、あまりキツさを感じません。帰宅してから2~3時間で、食事をつくって、子どもたちにご飯を食べさせて、お風呂に入って、お掃除をして。どのように段取りをして、効率よく時間を使えばいいのか。「2~3時間しかない」ではなく、「2~3時間もある」と思って過ごせているのは、学生時代の経験が生かされていると思います。

昭和女子大学への感謝の念は卒業後により強く

卒業して約20年。社会に出てから改めて感じるのは、昭和女子大学で地道に学んだ日々のありがたさです。特に学生と先生の距離が近いことは素晴らしいと思います。気軽に質問に行けるのはもちろん、先生方が学生に知識や人脈を惜しみなく提供し、共有してくださったことが印象的に残っています。
また、私が就職活動をした1996年は就職氷河期。第一志望は大手ゼネコンの設計職で、他にも建築会社を中心に100通ほどハガキを出したのですがなかなか内定がいただけませんでした。ようやく4年生の夏休み前、住宅メーカーの設計職として内定をいただきました。第一希望でないと迷いながらも、仲のいい先生に内定報告をしたところ「君にあの会社は向いていないでしょ」とばっさり(笑)。「よく頑張ったね」とほめるような言葉ではなく、本音で話してくださったことで迷いはなくなりました。親を説得し、内定を辞退。就職せず、そのまま独学で勉強し、卒業後の6月、前々から興味のあった公務員試験を受けました。
距離が近いのは先輩方も同じです。数十年ぶりに、同窓会でお会いしたのをきっかけに、社会で働いている先輩方からは、組織でどう振る舞うべきか、具体的に教えてくださいました。また80歳過ぎの大先輩方も、人生の先輩として、母として、主婦として、優しく相談にのってくださります。そういう女性なりの苦しみ、悩みを共有できることがすごく心強いですね。
正直、在学中は先生や先輩方の優しさや気遣いにまったく気づかず、見えていなかった。きっと学生時代よりも今のほうが、明るい気持ちで昭和女子大学に足を運んでいる気がします(笑)。

「日本という国をよくしたい」そのためにできることを考えています

会計検査院の仕事では平均して年間で80日以上の地方出張を伴います。たとえば防衛省の陸上自衛隊の担当になると、全国に展開している基地を会計実地検査します。実際に出向いて、予算をどう使っているかの話を聞き、現場を確認します。ただ現在は、子育て中のためセーブ中。「財務検査第一課」に所属していた際は、都内にある金融庁や日本銀行など日帰りで行ける場所を中心に担当できるようにしていただいています。日本銀行は支店もありますが、チームのほかのメンバーが行くなど、考慮、配慮をしてもらっています。
ただ、「会計検査院」全体で女性の比率を上げようという動きもあるので、子育て中の女性でも同僚に迷惑をかけないよう、出張にかわる仕事の進め方について考えなくてはいけません。もちろん男性でも育児や介護が理由で何度も出張ができない方もいます。出張以外のシステムを構築する時期にきているのかという思いもあります。
これを実現するためには、現場の人間だけでなく、他省庁、そして民間の方々の意見を聞き、最適な経路を見つけて効率の良い仕事の環境を構築していく必要があります。関係省庁等も多く、気の遠くなる話ですが、国家公務員全員の根源にあるのは「日本という国をよくしたい」という思い。どう実現していこうとしているか、検査という形式だけでなく本音でも意見を出し合わなくては。私の経験が少しでも生かせたらと思っています。
検査報告には、「今後はこういう視点でシステムや内部体制を見直しては」という提案を書き入れることもあります。自分一人が出来ることは、とても小さなことかもしれませんが、それが日本全体を見直すための大きな一歩になると信じています。

内藤 諭子 さん

(ないとう・さとこ)

総務省 行政管理局公共サービス改革推進室
官民競争入札等監理委員会事務局 参事官補佐

1996年 昭和女子大学 生活科学部生活美学科(現:環境デザイン学科)卒業

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