Interview

SHOWAISM〜私のストーリー〜

仕事に活きる"インデックス"を構築する
4年間

建築家
有限会社永山祐子建築設計 取締役
永山 祐子さん

生活科学部生活美学科
(現:環境デザイン学部環境デザイン学科)
1998年 卒業

わずか15分で建築家になる決断をしました

生物物理学の研究者である父の背中を見て育ったので、大学も生物学を専攻する予定で勉強をしていました。ところが、高校3年生のある日、“建築家になりたい”という友人の話を聞いて、わたしの人生ががらりと変わってしまったんです。たしか、スクールバスに乗る前にその話を聞き、バスを降りるときには“私も建築家になる”と決意していたように記憶しています。バスに乗っていたのは、わずか15分ほど(笑)。

そのたった15分間のあいだに、亡くなった祖父が建築家を志していたという話を祖母から聞いたこと。祖父母の家には建築にまつわる本や道具があったこと。私が小さいころ、自宅の建て直しをするためいろいろなモデルハウスを見に行ったこと。新しい家や部屋に想像を膨らませていたこと。私の希望は通らなかったけれど、想像を巡らせたことが楽しかったこと…。そんな記憶や思い出がブワッと甦ったんです。突然の報告に、両親も驚いていましたが、それでも私の夢を応援してくれました。建築業界で働くなら一級建築士の資格を取って働きたいと思っていたので、そのためにはどの大学に進学するといいかを考えて受験しました。

昭和女子大学 生活科学部 生活美学科は、“卒業と同時に二級建築士の資格を取る(※)”というミッションを達成するための、すばらしいカリキュラムが組まれていたんです。卒業後、2年の実務経験を経て一級建築士の受験資格を得る(※)ためにも、大学でしっかり建築の基礎を学びたいと思い入学しました。

※永山さんが入学した1994年当時の建築士受験資格による。

大学在学中は、“建築業界のなかでの選択肢”を模索

大学在学中は、“建築業界のなかでの選択肢”を模索

穏やかな性格の同級生が多く、今でも頻繁に連絡を取るなど、とても仲良くしています。ただ、大学の講義はとにかく課題が多く大変だったと記憶しています。徹夜して課題を仕上げたことも1度や2度ではありませんでした(苦笑)。それでも大学の授業だけでは自分の世界が広がらないと思い、授業や課題の合間をぬって、展覧会に行ったり、アートイベントの手伝いをしたり、活躍されているクリエイターの方に話を聞きに行ったりと、なるべく大学以外の世界とも関係を持つことを心掛けていました。大学が都心にあり、イベント会場などへのアクセスがよかったことも、フットワーク軽く行動できた理由ですね。

今振り返ると、学生時代は自分の興味のある分野を探していた気がします。“建築”といっても、就職先もさまざまで、仕事内容も多岐にわたる。たとえば、組織系建築事務所、ゼネコンの設計部、施工、設備、構造、アトリエ系、舞台やドラマなどの美術セットを組む仕事…。そのなかから、自分は何をしたいのか、何に興味を持っているのか、実際に体験して見つけていたんですよね。今のようにインターネットが普及している時代ではなかったので、完全に手法はアナログです。舞台や展覧会などで出会った方たちに“なにか手伝えませんか”と頼み込み、お手伝いをさせていただくなど、人づてに情報収集を重ねました。結果として、アーティストの設営や、舞踏家の舞台美術の手伝いなどに積極的に参加していました。

いろいろな場所に顔を出しながら、「自分の興味はどこにあるか」を確かめていく。日々模索するなかで、徐々に“非日常ではなく日常に関わる仕事がしたい”と感じるようになり、大学3年生ぐらいからは日常に関われる建築物をつくる建築事務所やオープンデスクに出向く機会が増えていきました。建築事務所では模型用の柱を切るなど黙々とお手伝いをしていただけでしたが、その事務所の雰囲気を肌で感じることができ、とても貴重な経験でした。

“4年制”のアトリエ系デザイン事務所「青木淳建築計画事務所」に就職

多くの現場を見るうち、“アトリエ系”といわれる建築事務所に就職したいと思うようになりました。アトリエ系とは、作家性を持った先生を中心に、作品として建築物をつくり上げる事務所をさします。志望者は多いけれど、募集人数は少ない分野。しかも、大学院を卒業している人や海外で勉強してきた人も志望していて、事務所や先生との相性、求人のタイミング問題もある。実際に就職できても、生活環境や収入面に不満を持つ人もいる…。プラス面もマイナス面もどちらもあり、かなり狭き門ですが、とにかくおもしろいものをつくりたいというプラスの思いが勝り、志望したんです。昭和女子大学の同級生にはあまり志望者のいない分野でしたので、オープンデスクで知り合った他大学の学生と連絡を取り合い、情報交換しながら就職先を探していました。同時に、建築士を志す人は大学院に進学する人が多かったので、大学院への進学も選択肢に入れていました。

ところが、そんなとき業界でも有名な「青木淳建築計画事務所」から内定をいただけたんです。早く現場を見たいと思っていたので、この縁を大切にしようと就職を決めました。

ただ、実は青木淳建築計画事務所は「スタッフは4年で卒業する」というルールがありました。4年後には退職しなくてはいけないので、4年間はとにかく一生懸命働こうと決め、生活のすべてを仕事につぎ込みました。…数か月間、オフィスの机の下に寝泊りして、朝から晩まで仕事をしていたくらい(苦笑)。 青木淳建築計画事務所で実務経験を重ねるなかで基礎や支えとなったのは、大学時代の教科書であり、授業内容でした。大学で4年もの時間をかけて勉強したことが、“インデックス”として私の頭のなかに入っているおかげで、製図や構造の計算などをしているときわからないことがあっても、「あそこを調べればこの疑問は解けるはず」というような解決策への筋道がすぐにわかったことは助かりましたね。

退職直後、青木淳先生の一言で独立し、「永山祐子建築設計」を設立

退職後、ほかの事務所に行くという選択肢も頭をよぎったのですが、せっかく実務経験を積んだので、まずは一級建築士の資格取得のための時間を作ろうと思いました。…とにかく突っ走った4年間だったので、少しゆっくりしたいという気持ちもありました。でも、いざ腰を据えて勉強しようと思うと、なかなか進まない(苦笑)。そんなとき、事務所主宰の青木淳氏から“仕事あるけどやる?”と声をかけていただけたんです。それが表参道の美容室のインテリアのお仕事でした。その一言がきっかけで、事務所を設立せざるを得ない状況になりました。いつかは…と思っていた個人事務所設立や起業の決断でしたが、突然、そのチャンスが巡ってきたという感覚でした。

起業直後は、ルイ・ヴィトン京都大丸店を始め外装デザイン、インテリアデザインの仕事が多く、一級建築士の資格は必要がありませんでした。けれど、そうも言っていられませんので、勉強を始めました。時間を区切り、仕事と勉強の両立を図りました。受からないとスタッフも困る、事務所のためにも合格しなくてはと、青木淳建築計画事務所退職直後とは違って、必死で勉強し、無事合格しました。

昭和女子大学の学生ホールの改装に携わりました

私が設計する建築物の「構造」をお願いしている森部康司先生が、2006年、昭和女子大学の生活科学部環境デザイン学科の准教授に就任しました。以前からお世話になっていた方が、母校の先生になられるというご縁に驚いています。なので、年に数回、打ち合わせのため、昭和女子大学を訪問しています。 また、金尾朗先生と杉浦久子先生など、お世話になった先生方が推薦してくださったご縁で、2019年夏、昭和女子大学の「学生ホール」のインテリア改装に携わりました。じつは私が在籍していた時代には、学生ホールの建物自体もなかったので、自分の学生時代の思い出の場所というわけではありません。ただ、あの建物が建つ前も学生が集う場所ではあったんです。狭いスペースでぎゅうぎゅうになって利用する学生食堂でした。なので、今回、“学生の皆さんが過ごす空間の内装を改装したい”というお話をいただき、「学生ホール」へ見学に行ったときの印象は、“広い場所があっていいな”という印象でした。

皆さん、思い思いにお弁当を広げてお話をしていました。ただ同時に、広い場所に席があるだけという、ガランとしていてよりどころがない、という印象も受けました。なので、新しくするにあたっては、思い切って天井を外して天高を上げて、空間を仕切るものを置きました。オープン・キャンパスのメイン会場として、また学生の皆さんの課題を発表、展示する空間としてなど、様々な用途で利用できるようにしたいとのお話もありましたので、可動式の仕切りをつけたり、間仕切りに合わせたカラフルな色合いの様々なスケールの家具を並べ、自由に居場所を見つける楽しい雰囲気の空間を作りたいと考えました。

大学は、勉強だけではなく、いろいろな人と出会う場所でもあります。とくに学生ホールは、コミュニケーションの場。講義の空き時間や授業後など、課題について相談しあうなど、自由な時間を有効活用していただけるような場所になっていたら幸いです。

限られた工期や状況でしたが、母校に貢献できる良い機会をいただきました。私自身、ほかの仕事とはまた違う思い入れも生まれた、大切なお仕事となりました。

特殊研究講座の講師

2008年に非常勤講師として、その後、特殊研究講座の講師としてお話をさせていただく機会も得ました。また2019年度には、環境デザイン学科で非常勤講師として講義を行いました。最近では、後輩のインターンシップの受け入れも行なっています。

今後も、仕事上でも良い関係性を築いていきたいと思います。前回はインテリアでしたが、夢は、学内の建築物に携わること。母校の建築物にかかわれる機会をいただけるよう、私自身も精進したいと思います。校舎などを改築する機会があれば、ぜひお声がけください。

建築学の“インデックス”を構築するための4年間を過ごしてください

大学時代の勉強は、自分なりの“インデックス”を頭のなかに持つためのものだと思っています。建築士としてすぐに現場で役に立つことばかりではないかもしれませんが、大学時代に得た知識があれば、たとえ細かいことは忘れていても、どの分野の話かはわかりますよね。建築とはどういうものをいうのか、どういう考え方をしていて、建築には何が必要なのかを理解し、インデックスとして頭の中にストックされていないと、専門用語の意味もわからないだろうし、どの計算式を使えばいいのかすらわからないはずですから。

私自身、在学中はインターンシップ先でも育てていただきましたが、建築関係の仕事を志望される皆さんには、ぜひ大学内での勉強以外にも目を向けていただきたいですね。他大学でも講義をしていますが、昭和女子大学はとにかく立地がいい。その利点を活かして、たくさんの建築物やアート、興味のあるイベントや建築現場に触れてみてほしいですね。

最近の昭和女子大学は、米国ペンシルベニア州立テンプル大学の日本キャンパスが校内にあるなど、私の在学中とは違う、新しい取り組みを感じます。けれど、立地の良さや穏やかな校風、真面目な学生が多いなど、昭和女子大学らしさは変わらないと思います。とくに、課題に真摯に取り組んでいるという印象。多くの課題をこなすうち、わからないことは調べる、とにかくあきらめずに取り組んでみる、という癖がついているように感じます。大学4年間に努力した経験は、きっと将来の糧になる、そう思っています。

永山 祐子さん

(ながやま・ゆうこ)

建築家
有限会社永山祐子建築設計 取締役

永山祐子建築設計HP http://www.yukonagayama.co.jp/

1998 年 昭和女子大学 生活科学部 生活美学科(現:環境デザイン学部 環境デザイン学科) 卒業

1998~2002年  青木淳建築計画事務所 所属

2002年  永山祐子建築設計 設立

主な受賞歴・作品

2004 年: 中之島新線駅企画デザインコンペ優秀賞

2005 年: つくば田園都市コンセプト住宅コンペ2位

2005 年: JCD デザイン賞 2005奨励賞「ルイ・ヴィトン京都大丸」

2005 年: ロレアル 色と科学と芸術賞 奨励賞「Kaleidoscope Real」

2006 年: AR Awards Highly commended賞「a hill on a house」

2012年 : Architectural Record Design Vanguard Architects 2012

2014 年: 日本建築家協会 JIA新人賞受賞「豊島横尾館」

2017 年: 山梨建築文化賞「女神の森セントラルガーデン」

2017 年: JCD Design Award 銀賞「女神の森セントラルガーデン」

2018 年: 東京都建築賞優秀賞「女神の森セントラルガーデン」

講師歴

2006 : 東京理科大学非常勤講師

2007 : 京都精華大学非常勤講師

2008 : 昭和女子大学非常勤講師

2009 : お茶の水女子大学非常勤講師

2010 : 名古屋工業大学非常勤講師

2016年:東北大学非常勤講師

2020年:武蔵野美術大学 客員教授就任

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