Interview

SHOWAISM〜私のストーリー〜

昭和女子的素養が今に活きる

讀賣テレビ放送株式会社
事業局 イベント事業部 プロデューサー
熊谷 有里子さん

短期大学部
英語英文学科
1990年卒業

学生時代の友だちは一生の友

附属中学から短大卒業までの8年間、昭和女子に通いました。受験したのは小学生のときでしたので、動機もあいまい。先生が薦めてくれたので受験しよう、合格したから入学しよう、という程度の理由だったと記憶しています。しかし、入学して驚きました。というのも、「こんなに厳しい学校、あるの!?」というほど、当時の昭和女子大学は、附属校も含め校則が厳しかったんです。コートのポケットに手を入れて歩いていたら停学になった方もいたらしいですし、短期大学時代もパンツ、原色の服やデニム、ブーツ、大きなロゴ入りの服も…すべて禁止でした。服装への厳しさも含め、社会的・道徳的マナーにはとても厳しかったですが、そのおかげで、社会に出てからは礼儀正しさやマナーの良さをほめて頂くことが多く、学生時代にとても厳しくしつけていただけたと、今では感謝しています。

生徒・学生同士はとても仲がよく、校則が厳しく「みんなで団結して頑張ろう」「助け合おう」という思いだったからでしょうか、昭和を卒業して20年以上経ちますが、今でも仲のいい友人たちで。会うたび、一生涯の友を得たと感じています。

中学・高校時代に在籍していた「新聞部」がきっかけでマスコミ志望に

私が就職活動をしていた時代はバブル景気真っただ中。学生にとっては有利な時代で、女性の花形職種である客室乗務員、商社、金融系を目指している人が多かったと思います。中学・高校時代は、「ル・ベレー」という生徒新聞を刊行している新聞部に選抜され、在籍していました。もともと文章を書くのが好きだったので、短大卒業後の進路も漠然と、雑誌編集者など文章を書く仕事や、自由なイメージのあるマスコミで仕事をしたいと思うようになりました。ですが、いざ実際就職活動を始めると、私が目指す企業の多くは、短大卒の学生を募集していませんでした。五修生制度*で短大に進学したので、進路を決めたのは高校2年生のとき。四年制大学を卒業していないと出版社や新聞社の受験資格すらないことを、高校2年生の時点では、さすがに知りませんでした。

その後、短大卒でも受験資格のあった広告会社やラジオ局などの受験先を決め、他業種も含め就職活動を開始しました。同級生でマスコミを希望している人は他にいなくて、情報がなかなか得られず大変でした。

実際には既に始まっていたのですが、当時一応「解禁日」とされていた7月1日に、なんとなく「初日だしなあ」という気持ちで就職課の掲示板に貼られる求人票を見に行きました。すると「讀賣テレビ放送株式会社」の求人が。「昭和にもテレビ局から求人が来るんだな」と、記念受験に近い感覚で受けたのですが、縁あって内定をいただくことができました。

*五修生制度とは

本学中高部独自の制度で、1年早く昭和女子大学の授業履修を開始できます。
6 年生(高校3年生)の1年間は中高部に籍を置きながら昭和女子大学で学ぶ、附属校ならではの制度です。1年早く大学生活を始められるため、余裕を持って留学や研究、大学院進学、就職活動に臨めます。卒業時に海外協定大学の学位も取得できる5年間のダブルディグリー・プログラムの取得にも有利となります。

与えられた仕事は、とにかく「やってみる」

入社直後は営業部に配属。中学校から女子校に通っていた私にとって、男性社会であるテレビ局はカルチャーショックの連続でした。「世間知らず」ということすらわからないほどのんびりした性格で、とても営業に向いていないと思っていましたが、だからこそ先入観を持たずにどんな仕事にも取り組み、地道な作業も手を抜かず、真面目に取り組みました。その姿勢が、周囲の信頼を得ることにつながったと思います。

数年経ち、毎日深夜までの残業などハードな仕事が続いたからか、体調を崩してしまいました。会社に異動希望を出し、残業の少ない総務部に異動しました。番組のCM枠を売買するために億単位のお金を動かしていた営業部から、コピー用紙などの補充や出張者の宿泊先手配など庶務的な仕事をする総務部へ。希望したとはいえ、それまでとあまりにも異なる仕事内容に勝手に落ち込んでしまった時期もありました。けれど、「他の人が円滑に仕事をできる環境を作ろう」「自分自身で満足いく仕事をしよう」と目標を作って、業務を自分なりに工夫、改善するうち、仕事にやりがいと楽しさを見出すことができました。ここで経理や人事など、営業以外の部署の仕事を学び、新たな取引先や支社内の人脈を築いたこともわたしの財産になりました。

その後社内結婚をし、夫と一緒に大阪本社へと転勤しました。そこでの配属先は社長室の秘書、経営企画という業務でした。営業部、総務部とは全く異なる業務のため、またまたゼロから再スタート…と思っていたのですが、何かあると、東京支社時代に出会った社員の方々が「熊谷さんには東京支社で助けてもらったから」と、サポートをしてくださったんです。手探りながらに一生懸命してきたことが、何年か経って自分に戻ってくるんだ、新しい土地でのスタートも“ゼロからのスタート”ではないんだと思った瞬間でした。

30代後半、ついに学生時代の希望が叶う

勤務先の撮影スタジオで

テレビ局に入社したものの、番組には直結しない部署への配属が続いていましたが、30代後半、宣伝部に異動に。視聴者の皆さんに、番組を見てもらえるようにその番組の魅力を社外に向けてを発信し、宣伝していく仕事となりました。番組概要をまとめることも多く、学生時代に“書くことが大好きだからマスコミに行きたい”と思っていた私の想いが、ようやく実りました。

今はイベント事業部で働いています。イベント事業部は、テレビ局主催の舞台、コンサート、美術展などを企画、運営する部署。自分で立案したイベント企画を実現し、プロモーションできるところが魅力です。

テレビ番組には視聴率という評価が伴いますが、イベント事業はさらにシビア。チケットを売って黒字にすること、そしてホールや会場にお客様がいらっしゃって、良くも悪くもリアルな反応が、その場でダイレクトに届いてきますからね。それだけにやりがいも感じています。

「昭和女子大学」だからこそ得られたことがある

イベント事業部で働くようになってから、昭和女子大学の「人見記念講堂」をほめていただく機会が多々あります。また、仕事で音楽家やイベンターの方たちと話していると、中高部時代の「全校鑑賞」や学生時代に受講していた「文化講座*」がとても貴重な科目だったと感じました。当時は半強制的に受講していて、ゆううつに感じたこともありましたが(苦笑)、質の高いコンサートや落語、演劇などを学生のうちから鑑賞できたことは、とても恵まれていたんだと思いました。

仕事だけではありません。仕事をしていると、目まぐるしく日々が過ぎていきます。そんなとき、舞台の観劇や音楽ライブ、落語会に行くのが、私にとって最良の気分転換。家庭や職場でイライラすることがあっても、そこでリフレッシュできて、また明日から頑張ろうと思えるんです。そんな心の豊かさを得るための選択肢が浮かぶことも、昭和女子大学で得た財産だと思っています。

昭和女子大学に限らず、世の中の変化とともに大学の制度や規則は、どんどん変化していくのでしょう。それでも卒業生の一人としては、「心のふるさと」としてキャンパスは三軒茶屋にずっとあってほしいし、志やマインドも変わらずにいてほしいと思っています。もちろん、LGBTといった多様な考え方も広がっている現代ですから、“女子大”という括り自体が、今後は問われることもあるでしょうし、変化していく可能性もあると思います。そんな中で、母校が女子大学だからこそできる「女性の教育」をどう打ち出していくのか、興味がありますし、卒業生としてできることは協力していきたいと思います。

*文化講座とは

学園創立60周年の記念事業として開設された文化講座は、学問・文化の専門領域における国内外の一流の学者・文化人・芸術家による、講演会、音楽会などを創立者記念講堂で開催し、これを年間カリキュラムに組み込んだもので、現在も実施しています。

CHECK! 現在の文化講座に関する学生の記事:「キャンパスで本物に出会える昭和女子大学の文化講座」(昭和学報記事 2019年2月21日)

昭和女子大学を検討中の皆さん、在学中の皆さんへ

私自身が就職活動をしていた当時もそうでしたが、今でも、「中学から昭和女子に通っていた」と話すと、それだけで信頼していただけることがあります。「堅実でしっかりした女性」だと思ってくださったり、「きちんとした教育を受けている人」だと言っていただけます。自分が当たり前にしている仕草や態度が、昭和女子で過ごすうちに身についたものなのでしょうね。

今、各業界で活躍している昭和女子の同級生と話していて感じるのですが、仕事を頼まれたとき、「分からない」「できない」ではなく、まずは「やってみよう」と前向きに受け入れて挑戦しているタイプの人が多いことに気づきました。

同じようなことを新卒採用の面接官をするときにも思うのですが「私は明るい性格なので、営業に向いています」など、断定的な自己分析をする学生さんって結構多いんです。けれど、社会で長く働く私からすると、人生経験の浅い学生さんが、自己分析で職種を決めつけすぎることは、無限の可能性を秘めた自分の可能性を狭めてしまい、もったいない!と思ってしまうんです。例えば、自分の希望ではない部署に配属されたときにネガティブに捉えてしまうよりも、「未知の分野だから必ず新しい発見がある」「自分の可能性を広げるチャンス」と考えることができる人のほうがきっと前向きに素敵な未来を掴める。昭和女子大学での教育を受けた人たちは、総じてどんな状況でも前向きにコツコツと努力する姿勢を持つ方が多いと感じます。この姿勢は、困難な場面に直面してもそれを乗り越える力になると思いますから自分を信じて頑張ってほしいですね。

熊谷 有里子 さん

(くまがい・ゆりこ)

讀賣テレビ放送株式会社
事業局 イベント事業部
プロデューサー

1989年 昭和女子大学附属昭和高等学校卒業(高校3年生は五修生として大学1年次に所属)
1990年 昭和女子大学 短期大学部* 英語英文学科卒業
*昭和女子大学短期大学部は2014年3月に廃止しています。

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