Interview

SHOWAISM〜私のストーリー〜

ダブルディグリー・プログラム、五修生制度をフル活用して

株式会社みずほフィナンシャルグループ
外為業務オフィス営業店1チーム
高納 阿佐美さん

人間文化学部 国際学科
(現:国際学部 国際学科)
2018年卒業

五修生制度を利用して、「上海交通大学」に留学することを決意

昭和女子大学には附属の中高部から大学まで通いました。小学生のころ、通学前や放課後にスイミングスクールに通っていたほど水泳に没頭していたので、進学先選びは「通年を通して泳げる温水プールがある」というのが第一条件でした。私が在学していた当時から、水泳部は世田谷区の大会で賞を取るなど、活躍していたことも昭和女子大学附属中高部を選択した理由の一つです。両親は、校則や規則が厳しいというところにも惹かれていたようです。もちろん中高の6年間は、水泳部に所属し自由形選手として大会に出場しました。
高校生のとき、仲のいい友人たち何人かと「五修生制度*」を利用して早く大学に行きたいね、と話していました。そこで両親に相談したところ、「早く大学に行ったほうが自分の好きな勉強ができるんじゃないか」と賛成してくれたので、挑戦することにしました。

学校の成績と面接を経て、高校3年生(中高部6年生)になる年に、昭和女子大学人間文化学部国際学科に入学。国際学科を選んだ理由は、ちょうど私が進学を考えていた時期に、担任の先生から「来年から、中国・上海交通大学のダブルディグリー・プログラム*が始まるよ」と教えていただいたことがきっかけでした。今後、中国は経済大国になっていくだろうということと、人口の多い中国の言語を勉強すればきっとこれからの役に立つと思い、挑戦することにしました。通常、ダブルディグリー制度にチャレンジする場合、まずは大学2年生の前期まで昭和女子大学で学び、その後、海外に渡り協定校で2年間。そして、帰国後また1年半、昭和女子大学で学ぶ必要があります。2つの大学の学位を取得するには、5年間大学に在籍する必要があるんです。けれど私は、「五修生制度」を利用して大学に1年早く進学したので、中高部のときの同級生と同じタイミングで卒業できました。

入学したときに、2年生後期からは上海に行くと決めていたので、1年生のときから重点的に中国語を勉強していました。週6日、中国語の授業を履修し、読み書きと会話を学びました。読み書きは比較的わかりやすかったのですが、とにかく発音が難しくて…。“声調”が違うとまったく違う意味になってしまうので、留学直前まで徹底的に練習していました。

*五修生制度

本学 中高部独自の制度で、1年早く昭和女子大学の授業履修を開始できます。
6年生(高校3年生)の1年間は中高部に籍を置きながら昭和女子大学で学ぶ、附属校ならではの制度です。1年早く大学生活を始められるため、余裕を持って留学や研究、大学院進学、就職活動に臨めます。

*ダブルディグリー・プログラム

昭和女子大学のダブルディグリー・プログラムとは、本学と海外協定校の両方で学び、2つの学位(卒業証書)を取得するプログラムです。2つの学位を5年間(本学3年間・協定校2年間)で取得できるのが大きな魅力です。現在、本学は中国の名門校・上海交通大学と韓国の伝統校・ソウル女子大学校、テンプル大学ジャパンキャンパスの3大学と協定を締結し、プログラムを実施しています。

積極的に話しかけて、とにかく中国語を話す機会を作りました

上海交通大学留学中に友人と北京へ

上海交通大学留学中に友人と北京へ

上海交通大学ダブルディグリーの第1期生として、10名で大学2年生の後期から上海に渡りました。親が転勤族で、子どものころから転校を繰り返していたので、順応性はあるタイプだと思っていましたが、やはり最初は大変でした。
1年目は、各国から上海に留学してきている学生が通う、“本科”という20人ほどのクラスでした。クラスの日本人学生は昭和女子大学の学生3名のみ。2年生のクラスでしたので、周りは1年間しっかりと上海交通大学で中国語を学んできた学生ばかりでした。先生に何を聞かれているのかも分からない日々が続き、会話のスピードに慣れるまでは本当に大変でした。それでも、とにかくクラスメイトとコミュニケーションを取りたいという気持ちが強かったので、頑張って話しかけていました。なんだかんだ、会話に慣れるまでは半年くらいかかりました。そして2年目からは、文学コースを専攻。「孔子」「宋詩」などの中国文学を勉強しました。だいぶ言葉はわかるようになったとはいえ、中国語で学ぶ中国文学はやはり難しかったです。

留学中に友人と

留学中に友人と

上海の生活は、各国から来ている留学生が住む寮に住んでいました。中国は外食文化が発達しているので、よく外食しに出かけていました。炒飯が7元(約90円)くらいで食べることができて、食べながらお店の方と話をしたり、寮の管理人のおじいちゃんに話しかけたりと、積極的に現地の方に話しかけていました。また、2、3か月に1回、上海交通大学の日本人学生が主催していた「日中交流会」に参加し、積極的に中国人の友達を作りました。特に仲良くなった友人が1人いて、その友人からは中国の文化や風習、マナーなどを教えてもらっていました。クラスメイトと中国語で会話をすることに慣れてくると、大学生活は驚くほど楽しくなりました。タイからの留学生とは、寮にある共有のキッチンスペースでお互いの自国料理を作って振る舞いあったり、長期休暇には大学の友人と中国国内の旅行に行くなど…、本当に充実した留学生活だったと思います。
2年間の留学生活で、世界中に友人ができました。アメリカ、韓国、タイ、ドイツ、イラン…。各国の文化や宗教などもその人を通じて知ることができたことは、とても大切な経験だったと思います。

帰国後は、国際貢献クラブと就職活動で多忙な日々でした

帰国後、国際協力を行う「国際貢献クラブ」に入部。「さくらプロジェクト」という、タイ山岳民族の子どもたちに教育支援活動を行うNGOの活動の一環として、約2週間、タイの山岳民族のもとに行きました。そこで暮らす子どもたちが作った小物を、昭和女子大学の文化祭「秋桜祭」で販売し、その収益を寄付するといった活動をしていました。
上海交通大学留学中に気づいたことの一つに、世界には“親日家”が多いということがあります。日々の国際関連のニュースを見て、海外からは日本がバッシングされているのではと懸念したこともあったのですが、意外にも“日本が好き”“日本の文化に興味がある”と言ってくださって。私自身、上海での人との出会いに何度も助けられたので、「次は私が来日した留学生に日本文化を教えてあげたい!」という思いから、国際貢献クラブの活動でも、留学生を連れて、殺陣の体験に行ったり、お祭りに行ったり…。日本ならではのイベントを企画して実行していました。そうこうするうちに、気づけば国際貢献クラブの部長として、クラブの活動に夢中になっていました。
帰国後は、卒業後の進路を考え始める時期でもありましたので、キャリア支援センターに通い、自己分析の仕方やエントリーシートの書き方、OG訪問について、面接の練習など、さまざまなことを教えていただきました。そんなとき、キャリアセンターのスタッフの方から、「株式会社みずほフィナンシャルグループ」の求人の話をいただきました。もともと、家族が銀行で働いていたということもあり、幼いころから親しみがありました。父からも「銀行の仕事はおもしろい」と聞いていたので、私も触発され、みずほフィナンシャルグループを志望することにしました。

上海交通大学とのダブルディグリー・プログラム

上海交通大学とのダブルディグリー・プログラム

入社後の人事面談で、海外と関わりを持ちたいという希望を出したところ、本部の外為専門の部署に配属されました。人事の方からは、「上海で2年の留学経験があること」「上海交通大学の学位を取得したこと」を評価していただきました。一般職採用なので、今すぐ中国に転勤できるというわけではありませんが、いずれ、総合職に転換して転勤や出張をしたいと考えています。
今は、多くの中国人のお客様にみずほ銀行を利用いただいています。海外送金に関しての問い合わせを中国語で受けることもあり、私が電話口で応対することも少なくありません。これからは、もっともっと中国語を使える仕事にも携わっていきたいと考えています。
私は昭和女子大学を2018年に卒業したばかりですが、ここ1、2年で、ダブルディグリーの提携先が増えたり、テンプル大学との提携も始まったりと、大学の制度も大きく変化していると感じ、学生の皆さんの選択肢がさらに増えた気がします。学生の皆さんには、いろいろな制度をうまく利用して、有意義な学生生活を過ごして欲しいですね。

高納 阿佐美 さん

(たかのう・あさみ)

株式会社みずほフィナンシャルグループ

外為業務オフィス営業店1チーム

2014年 昭和女子大学附属昭和高等学校卒業(高校3年生は五修生として大学1年次に所属)

2018年 昭和女子大学 人間文化学部 国際学科 卒業(現:国際学部 国際学科)

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