Interview

SHOWAISM〜私のストーリー〜

ジャーナリストとして活躍
情報の最前線と読者をつなぐ

株式会社毎日新聞社
採用・研修センター 採用担当副部長
木村 葉子さん

文学部 日本文学科
(現:人間文化学部 日本語日本文学科)
1990年卒業

厳しい校則のおかげで、きちんとした学生だと評価されました

中高部から昭和学園に在学しました。親戚に昭和女子大学の卒業生がいて、薦めてくれたことが大きな理由でした。また、子どもながらに「あのお姉さんみたいになりたい」「中高部の制服のベレー帽が可愛いな、セーラー服もいいな」などと思っていた記憶があります。小学校の友人のおばさまが附属中学校・高等学校で教員をされていたので、学園祭に連れて行っていただき、広々としたすてきなキャンパスだと思って決めたことを覚えています。
当時の昭和学園は、校則が多く、厳しいことで有名でした。けれど、12歳で入学した私にとって、厳しい校則も“そういうもの”と受け入れていたので、気にしていませんでした。逆に、“あの厳しい規則のなかで順応しているならきちんとしている生徒、学生だ”と、昭和女子の生徒、学生であるだけで、信頼していただけることに驚いていました。

高等部入学直後、「五修生制度*」ができました。私たちは五修生制度の第2期生で、ほとんどの生徒が中高部の勉強を5年で修了し、高校3年生になる年に昭和女子大学へ進学していました。私は「文学部日本文学科」に進学。かくして大学には5年間在籍することになったのですが、カリキュラム自体は通常通り4年で終えるため、5年間の大学生活のうち、最後の1年間は大学院生のような感覚でした。

また、この頃は米国ボストンにキャンパスができた時期でもありました。ボストン校でのプログラムは英文系以外の学生にも開かれていたので、大学4年生(実際には、大学3年生)の夏休みに、初めて海外に行きました。1か月半でしたが、とても刺激的でした。何もかもが大きく、人種が違っても養子縁組によりファミリーになることができるなど、多様性のある国だからこそ成立している様を垣間見た気がしました。また、昭和ボストン校だけでなく、ニューヨークの摩天楼やワシントンのホワイトハウスの見学にも行ったことも印象に残っています。

*五修生制度とは

本学中高部独自の制度で、1年早く昭和女子大学の授業履修を開始できます。
6年生(高校3年生)の1年間は中高部に籍を置きながら昭和女子大学で学ぶ、附属校ならではの制度です。1年早く大学生活を始められるため、余裕を持って留学や研究、大学院進学、就職活動に臨めます。

中学生のとき、一次情報を自分で見ることができる職業に就きたいと思いました

中学生のときに、将来の仕事について考えたことがありました。さまざまな職業に就く自分をイメージしたとき、当時の私には一日8時間オフィスの中でじっと仕事をする姿が想像できませんでした。また、テレビドラマや映画を見たり小説を読んだりするうち、“ある人物”“とある史実”、また“ある実証”と1つの事柄が、その時々でさまざまな角度から描かれていることに気づいたんです。つまり、自分が知っている世の中の出来事は、「新聞で読んだこと」「ニュースで流れていること」「親の言うこと」「先生の言うこと」ばかりで、二次情報、三次情報でしかないのではないか、と。どれも嘘の情報ではないけれど、一部が切り取られ、バイアスをかけられているかもしれない、と思ったんです。そこで、一次情報を自分の目で見て感じることができる職業に就きたいと考えました。

その職業は何か。そう具体的に考えたのは大学生のとき。毎朝、家族で読んでいた新聞記事を書く記者になれば、一次情報を知ることができると思いました。テレビ業界や通信社などの企業や業界の研究もしましたが、いちばん一次情報を知る機会が多いのが新聞記者だと感じ、第一志望としました。大学には、新聞社から転職してこられて、一般教養課程でジャーナリズム論などを教えていた先生が何人かいらっしゃいました。毎日新聞社OBの青柳武先生、川嶋保良先生や松本昭先生、産経新聞社OBの気賀沢洋文先生、さらには読売新聞社OBの加藤地三先生などのところに日参して、勉強会に参加していました。

そのなかでも印象的だったのは、先生方が“毎日新聞は非常に自由”と言ってくださったこと。他社と比べて、記者一人ひとりに与えられる裁量が多く、自由度が高いとのお話でした。「その分、若いうちから責任も伴うけれど、やりがいも感じると思うよ」との言葉で、毎日新聞社が第一志望となりました。

社会人となって、昭和女子大学での躾が大いに役立ちました

30年前の新聞社は、ザ・男社会。私が毎日新聞に入社した当時、私の同期は記者職だけで100名以上いました(※現在は30名程度)が、男女比は9:1でしたし、女子大学出身者はほとんどいませんでした。入社式のときに笑い声が起きた瞬間、今まで耳にしていた甲高い声ではなく、地の底から湧き上がるような男性の声が会場に響き、驚いてしまいましたね。昭和女子大学ではふつうだと思っていたことが、社内ではもの珍しく、新鮮に映ったこともしばしば。たとえば、入社してまず配属された整理部(紙面レイアウトや見出し付けなど、新聞の根幹ともいうべき部門)でのことです。新聞を扱うとインクで服が汚れてしまうので、私はエプロンを着けて作業をしていたのですが、同僚からは驚かれましたね。また自分の席を片付けるついでに、当たり前のように共有テーブルを片付ける、乱雑に置かれた新聞を綺麗にたたむ、そして店屋物を食べた後にほかの人が置いた器もまとめて洗う…。どれも昭和女子大学の学寮研修などで身に着けた掃除や片付けの延長線上で行っていたことでしたが、この些細な気遣いや行動の積み重ねが、信用していただけるきっかけとなったように思います。地方支局に配属される新人が多いなか、紙面のレイアウトや見出し付けといった新聞の“根幹”ともいうべき部門での仕事は、とても勉強になりました。各部のデスクとも顔なじみになれたことも大きかったと思います。

その後、仙台支局では念願だった取材記者として勤務します。事件や事故、裁判、スポーツ、行政、経済、街ネタなど様々な記事を書きました。取材後は、いつも取材先の方へお礼状を出していました。これも昭和学園で毎学期末、先生や親戚、下宿生は大家さんなどに向けて近況報告とお礼の手紙を書いていた習慣を、仕事場でも実践しただけなんです。それ以外にも、「5分前行動」「丁寧な言葉遣い」「お辞儀の仕方」「先生方への礼儀」「服装や身だしなみ」など、昭和女子大学で自然と身に着けたことは役に立つことばかりでした。

年齢を重ね、長く会社に勤めるようになって改めて、“仕事ができる、できないという問題以前の大切なこと”を教えていただいていたのだと、たいへん感謝しています。

子育てを経験し、改めて昭和学園では貴重な時間をすごしたと感じます

入社3年目で社内結婚し、産休や育休を取得しました。また復職後は、家族や実家の両親の手を借りながら、仕事、子育て、そして家事の両立の日々をすごしています。ちなみに、朝刊担当と夕刊担当でシフトを分けるので、朝刊担当の場合、仕事は夕方から。子どもたちが保育園にいる間に、食事や掃除などの家事を済ませ、両親や帰宅した夫にバトンタッチしてから出社するなど、家族と連携を取って子育てをしていました。また「毎日小学生新聞」に携わっていた時期には、子どもを連れて職場に行ったこともあります。学校帰りに子どもが私の職場に来て、デスクで宿題をしていました。原稿執筆は自宅でもできますし。そういう意味で、毎日新聞社はとても働きやすい職場だと思います。私自身、結婚や子育てが理由で会社を辞めようと思ったことは1度もありませんし、子育てとの両立を理由に退職した同僚もあまりいません。

10年間女子校に通い、男子がいない分、とても気楽だと感じていました。一方で、力仕事など共学校であれば男子が助けてくれることも、すべて女子だけでやるしかありません。男子校もまた同様だと思います。現代社会では、男性・女性のどちらかが“何かをしなくてはいけない”という考えは支障をきたすことも少なくありません。ですから、子どものうちに男女別学で生活して、何でもやってみる、できると思える環境を作ることには価値があると私は思っています。実際、息子は中学校と高等学校は男子校に、娘は昭和女子大学の附属中高部に、それぞれ通いました。別学で学ぶことを本人たちがどう感じていたか確認したことはありませんが、長い人生のうちのわずか6年です。また、子どもたちの成長のスピードを見ていても、男の子と女の子では明らかに違う。もしおっとりした性格の息子が共学校に通っていたら、優秀な女子生徒に圧倒されていたかもしれないと思うと、男女別学校に通わせたことには意味があったと信じています。

これから社会へはばたく学生のみなさんへ

今は採用・研修センターで採用担当副部長をしています。新入社員の採用などを行っているのですが、最近の学生は“真面目でいい子”が多いですね。私が入社した当時は、“整っていない”“ごつごつした個性の塊”のような人が多かった気がしています。

就職活動を経て内定を得ることは、人生のゴールではなく、社会への入口でしかありません。でも、内定をめがけて大学生活を過ごしている学生が多いのではないでしょうか。これは学生だけでなく、採用する企業側、さらには社会全体の問題でもあると思います。若い人たちには、学生時代にしかできない豊かな経験を、ぜひ大学生の間にしてほしいんです。特に、スマートフォンの中で時間を吸い取られて、”平べったい人間”になっている学生が年々増えている印象があります。新聞社の採用を担当しているからかもしれませんが、やはり、現場に足を運び、本物を見ている学生に魅力を感じるんです。実際、実体験を話してくれる学生の話のほうが奥深く、味わいもあります。

新聞社を目指すのであれば、何より大切なのは、ジャーナリズムを担う覚悟があるか、ということ。何のために新聞社に入社するのか、その軸がないと、いざ働き始めてから苦労するかもしれませんね。

木村 葉子さん

(きむら・ようこ)

株式会社 毎日新聞社
採用・研修センター 採用担当副部長

1990年 昭和女子大学 文学部 日本文学科

(現:人間文化学部 日本語日本文学科)卒業

最新記事